ひみつの路地裏

心のキャンバスです

雨降って地崩れる

人生、そう諺通りに運ばないのが常で、胆を嘗めさせられることも少なくない。

歩けば棒にぶつかり、木に登れば落ちるような人生を送ってきた某にとっては当たり前のような話ではあるので、一々眉間に皴を寄せるのはもう止めにしている。

しかし、他人はそうも行かぬようで、何か事があるとすぐにあれやこれやと喚き立てる。特に昨今話題に上る「最近の若い者」はそれが顕著であると、年を食って生きてるのか死んでるのかも分からんような老人達は口を揃えて言うのだ。

 

某にとっては老若男女共々大差なく、若いからだの年を食ってるからだのという言葉は、次に続いて出てくる批判や賞賛を正当化する為の枕詞でしかないのだ。

しかも、そうして大量の地雷や爆弾を撒き散らした人間は、いち早く蚊帳の外へと非難して、第三者のフリをして自己批判を始める。もし世界一厚い皮を決める話になろうものなら、某はそういった輩の面の皮を推したい。

それはともかくとして、大抵そのようなコミュニティは長く続かず、その周囲一帯を焼野原としてしまう。まさに「立つ鳥跡を濁さず」とは対照的である。某は"コミュニティ"と括ったが、これは家族、恋人、親友といったクローズドな空間にも言えることで、起爆剤と成り得る諸要因が多い分、むしろその方が被害は甚大である。「粉塵爆発」とはよく言ったものだ。

 

些細なことで目くじらを立てない、寛容になると言葉にすれば容易いが、精神的に未熟な若者には難しく、一度おつむが凝り固まってしまった老人にも難しい。故にどこに行っても争いは絶えないのだろうが、某としては、雨が降っても崩れないような確固たる地盤が持てる人間になれればと切に願うのである。